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トート母ちゃんのお気楽生活♪

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ずー君の障害判明

 まっちと共に2歳児教室に通い始めてしばらくしたころ、ずー君の様子もおかしいのに気が付いた。
 ずー君は、まっちと1年1ヶ月しか年の離れていない年子だ。お腹がすいたときに激しく泣いたものの、笑顔が可愛く、あやすと笑うし、いないいないばあとかが好きだったし、「まんま」等の言葉らしきものも少し出ていたのだ。
 それが、1歳になるころ、気が付いたら言葉が出なくなっていて、真似もしなくなった。いないいないばあにも反応しない・・・、おかしい。
 2歳児教室の福祉士(まっちの1歳半検診のときの福祉士だ)に相談すると、ずー君の様子を見て、「残念ながら、この子もそうだと思う。」との答えだった。「途中で兆候が出てきたってことは、この子の方が重度かもね。大人しいけど、普通だと私も思ってたけど・・・。」とも言われた。
 何故?ついこの間まで、あやすと笑う可愛い子だったのに。この子は違うと思ってたのに!
 正直言って、この時のことはあまり覚えていない。まっちと同じように2歳児教室に通うことになったのは覚えているのだが・・・。あまりに予想に反したことがあると、記憶をリセットしてしまうものらしい。
 2歳児教室では、親子で遊ぶことを多くやった。卵のパックで音の出るオモチャを作ったり、音楽遊びをしたり。
 ここには、障害児の親子ばかりじゃなく、少しおっとりした育ち方をする子もいた。遊び方を見ると、うちの子たちは、どんなにかかわって遊ぼうとしても、するりと私の腕から逃げて、教室の周りを走ってばかりいたように思えた。
 今から思えば、うちの家族だけじゃなくほかにも障害児の親子もいて、同じような悩みを持ってる人もいたのに、うちの子たちだけが、私と一緒に遊んでくれない、と思っていた。それに、いつものび太と一緒に来てたので、「あそこのご主人は協力的でいいなあ。」と思われ、声も掛けづらかったようだった。私も余裕がなく、生来の自信のなさで、他の人に声を掛ける勇気がなかったのだ。
 年子で子供を産んで、両方とも障害児。しかも、ずー君は1歳4ヶ月ぐらいまで歩かなかったのだ。それで、のび太の協力は不可欠だった。大体まっちの世話をよくしてくれ、まっちはいまだにお父さん子である。
 2歳児教室に通いだしてしばらくして、福祉士から小児精神科の受診と、児童相談所の判定を受けるように勧められた。


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